IVY'sセブ島旅日記結婚編 



  7年越しの交際の末、ついにセブで結婚式を挙げられたIVYさん
  のセブ島旅日記です。 おめでとう! そして、末永くお幸せに。


   l 出発 l 結婚許可申請 l 彼女の実家 l 挙式 l 式の写真 l
   l 出生証明書書換 l 海へ行こう l 最後の朝食 l 帰国後 l
  ●結婚準備編はここ


  ◇12月3日(出発)  [TOP] いつもの時間に家を出て、いつもの時間に成田の駐車場サービスへ向かう。 駐車場の送迎車で第二ターミナルへ行き、これまたいつものようにカード 会社のラウンジで時間を潰す。いつもと違うのは、ラウンジで過ごしている 間に一人の客が入ってきたことだけ。 チェックイン時間の1時間半前にフィリピン航空のチェックインカウンター へ行ってパスポートとマイレージカードとフライングスポーツマンカードを 提示してトランクを預け、搭乗券をもらいながら喫煙席をお願いする。受付 嬢はトランクの「中身はダイビング機材ですね、貴重品のステッカーを貼っ ておきます。丁寧に扱いますが、万が一破損のときはご容赦ください」と言 った。(実は中身は全て彼女と家族たちへのお土産であるのだが、ゆうに 30キロを超えてしまっている。)そのまま出国手続きへ。 今日は、前回と違いイミグレががらがらだ。いつもだと混雑していて通過に 30分ほどかかるのだが、5分ほどで出国手続きが終わってしまった。 ネットで免税品を注文しておいたのでJDFにいき、品物をもらってお金を払う。 お土産の香水なのだが、サービス品と言うことで腕時計をもらった。香水メーカー のプレミアム商品なのでもちろん女性物。これで彼女へのお土産が増えてよかった と思った。 そのままレストランへ行ってビールでも飲もうかと思ったが、今回は飲食割引券が ないのでレストランは断念して搭乗ゲートそばの売店で、缶ビールを買い待合室の 喫煙コーナーでビールを飲む。待合室の中を見回すと待っている人がやけに少なく 感じられる、今は少ないけど搭乗時刻間際になると混雑するのだろうと思って待っ ていると搭乗時刻になってしまった。本当に今日はこんなに乗る人が少ないのだろ うか。機内に入り、座席に着き周りを見回すと本当にがらがらだ。 こんなにがらがらなのは、Y2K問題で騒いだ昨年の年末以来である。そのとき ほどではないがやけに客が少ない。こんなに客が少ないんじゃ赤字だなと思った。 機内の中で帰りの便のリコンファームの用紙に記入してフライトアテンダントに 渡す。これで帰りの予約は大丈夫だ。 機は定刻どおり、セブマクタン国際空港に到着した。 極めて丁寧な入国手続きを終え、ターンテーブらから自分の荷物を見つけ税関へ。 税関のオジサンは、私の巨大なトランクを見ると何も言わずに申告書の用紙 だけを受け取り、出口のほうを指差した。出口付近にいた警官にホテルは何処だ と聞かれたので「MIDTOWN」と答えると、私の知り合いのタクシーを使ってくれと 言って一人のフィリピン人を手招きした。彼は私のトランクとキャリーバッグを 仲間に運ばせ通りを渡り、二階の出発ロビーの方へ走っていった。私も荷物を 持っていかれちゃ大変だと思い。いそいで彼らの後を追う。ロビーから表に出た ところに私の荷物は無事に運ばれていた。待っているタクシーにすぐに乗るのかと 思っていたら、今車がくるので少し待っていてくれと、日本語で話し掛けてきた。 車の中で、彼に話を聞くと以前宮崎のホテルに勤務していた関係で日本語がわかる のだそうだ。でも、なんとなく怪しい。私は不安になった。このまま淋しい場所に 連れて行かれ持ち金全部取られてしまうかも知れない。私の隣には、仲間らしき男 が私の荷物をがっちりと抱えている。彼に話し掛けたが、英語がわからないらしく、 何も答えない。助手席に座っている日本語が話せる男が「両替は済んでいるのかと 聞くので」まだしていないと答えると、レートの良い両替屋があるので、そこへ行 こうと言う。両替だったら、ホテルの周りに沢山あるので遠慮すると答えたが彼は 私の言葉を無視して両替屋に向かった。車から降りてみると普通の両替屋である。 彼が言うには、「ここはとてもレートが良いので観光客はいつも案内している」と いう。レートは、4300まあまあだ 車の戻り、ホテルに向かう途中で彼が「今回の目的はビジネスか?」というので、 いや、結婚式のために来たと答えたら友達の結婚式か?と言うので、私の結婚式 だといったら、驚いていたようだ。相手はいくつか?と聞くものだから、27だと 答えたら、また、驚いていた。彼は「今夜は彼女はこないのだろう。若い子がいる 店を紹介するから行かないか?」といってきたので後で彼女に知れたらとても怖い と言って、丁重にお断りした。警官の紹介だからといって安心できないと思った。 ようやく、見慣れた景色のところまで来たので、内心はほっとした。良かったなにも 無くて‥ 車は三階の車寄せの所へ到着したので、お金を払って車から降りようと したら、彼はベルボーイを呼び寄せ荷物をキャリアに載せるように指示し、フロント に向かった。彼はフロントマンと一言二言話をして、チェックインの手続きをやって くれた。彼は未だ諦めきれない様子で「これから女の子のお店に行かないか?」と しつこく誘った。私はそんな気は全く無いので、強く断ると諦めたようである。 タクシー代200 チップを要求された50 フロントでキーを受け取り、部屋に行く。ベルボーイが私の荷物を全部部屋に運んだ のを確認してから、チップを渡した。50 トランクから、着替えを出してシャワーを浴びることにする、‥今日はいろいろ あったな‥ と思いながらシャワーを浴びていたらいきなりドアチャイムが鳴った。 誰だろう‥と思い、急いで腰にタオルを巻きドアを少し開け廊下を見ると、見知らぬ 女性と彼女と娘が立っている。彼女にすぐに着替えるから待っていてくれと言って 少したってから、彼女たちは部屋の中に入ってきた。約三ヶ月ぶりの再会である。 友達がいるので、彼女を抱きしめたい気持ちをグッとこらえる。こらえきれずに 彼女を洗面所に呼び込み力いっぱい抱きしめて、キスをした。 何度もキスをしながら 互いに、愛の言葉を囁き合う‥ 友人が帰った後、娘の「アンジェラ」にクリスマスプレゼントを渡す。 ぬいぐるみとお菓子類など‥ 彼女には、免税店で買った香水とおまけの時計、私のトランクの大部分を 占めている、洋服と下着類などなど   ◇12月4日(結婚許可申請)  [TOP] 今日は、地元では「カピトル」と呼ばれている、州政府庁舎の中にある 市予審裁判所に行く日である。前回、申請した市役所のほうは行かないでいいの。 と聞くと、「あそこはいろいろ面倒だから行かないでいいの。それより、私の友達の いる所のほうで、結婚許可の申請をしたほうが速いの」と言う。(結婚許可書の 申請からするんじゃ、また時間がかかるじゃないか‥と、内心心配しながら彼女に 従った。ホテルからタクシーで行くものとばかり思っていたのだが、今日はお天気が 良いので歩いて「カピトル」に行きましょう。と、彼女が言った。歩くのはあまり 好きで無い彼女なのに‥、私は拍子抜けしてしまった。 ホテルを出てメインストリートをまっすぐに「カピトル」へ。約1キロくらいの 距離がある。20分ほど歩いて、少し汗ばんできたころようやく目的地に到着。 正面から建物の中に入り、まっすぐ中を通り抜けて、裁判所の二階へあがり脇の 小さな階段を上ってすぐ右側の彼女の知り合いのいる部屋に入った。 部屋の中に入ると、入り口付近の左側にこの部屋のボスと思しき年配のとても品の よさそうな女性のデスクがあった。彼女(ボス)は私を見ると「グッドモーニング」 と言いながら、握手を求めてきたのですぐさまそれに応じた。その女性が私の彼女の 知り合いだと、彼女が教えてくれた。彼女が友人の結婚式で知り合い、相談したところ 快く、私たちの結婚の手続きを引き受けてくれたそうである。彼女って、案外社交的 なのだなと思った。申請書にサインだけをすると、私のパスポートのコピーと彼女の 出生証明書を見て、書類をタイプ打ちしてくれた。この書類の表は結婚許可書で、 その下が結婚証明書であった。書類の手続きがすべて完了すると、「結婚式は6日に 行いますので、挙式料として、6000ペソ納めてください」と言われた。私は面食らって しまった。(結婚許可申請の書類を出したばかりなのに、明後日が結婚式だなんて‥ 何でもありフィリピンとはいえ本当に大丈夫なのだろうか‥と疑ってしまった。) 式は判事が執り行いますので、何も心配ありません。の言葉に少し安心した。 「式の後の昼食会の会場は貴方の彼女の申し出により、安いところで行いますので あまりお金はかかりませんよ。」と声をかけてくれ、握手を求めながら、おめでとう の言葉をかけてくれましたので、私はお礼をいい建物を後にしました。 ホテルに戻り、彼女から預かった娘の「ANGELA」の出生証明書の翻訳を 持っきたノートパソコンで行いました。プリンターは持ってきていなかった ので、画面を見ながらホテルの便箋に書き写して、ようやく終わりました。 遅い昼食の後で私は「娘のことで領事館に言ってくる」と言い残し、部屋を出ました。 実は、今回の目的は結婚式だけではなく、娘の認知届を出すことも目的の ひとつでした。領事館のある、「メトロバンクプラザ」の12階の部屋に入り、 窓口で認知届の用紙をもらい、記入し終わると窓口に届け出用紙と出生証明書 と訳文を付けて提出しました。(実はこのときうっかりしていたのですが、 書類の申請、受付は午前中だけで午後は書類の発行しか行っていないのです しかも、私がいった時間は終了30分前です) 係りの方が、「今日中に申請を終えるのですか?」というので、「はい、そうです」 と、答えると「本当は受付は午前中だけなんですよ。午後は違うんですよ」 と言いながらも、「訳文が間違っていますね。私が訳文を作ってあげます」と いやな顔もせずに、親切に言ってくださいました。 約一時間ほど、翻訳作業に奮闘してくださいました。ようやく、翻訳し終えると 私を窓口へ呼び、翻訳文を私に手渡しながら、「ここで手続きをしてしまうと、 日本の役所に届くまで一、二ヶ月位かかってしまうので、日本に帰ってから 役所での手続きをしたほうが速いですよ」と教えてくれた。私が「婚姻届の前に 認知届を出さないと、国籍取得の権利が得られないのでないでしょうか?」というと、 「役所へ行って、認知届と婚姻届を同時に提出すればきっとうまく処理してくれますよ」 と言ってくれました。 帰り際に彼に御礼を言うと、「いいえ、たいしたことはありません」ととても謙虚でした。 外務省の役人にも、親切な人がいるんだな。と感激してしまいました。   ◇12月5日(彼女の実家)  [TOP] 今日は彼女のウエディングドレスを取りに「ナガ」へ行く。 渋滞を避け、早めの朝食を摂りタクシーで彼女の実家のある「ナガ」に向かう。 30分ほどで、到着。 家に行く道が無いので、学校の校庭を横切り、家へ行く。 2,3日前に台風が通過したそうで、校庭のあちこちに水がたまっている。 家へ向かう道も状態が極めて悪い。道にバナナの葉や木が置かれて道を作っていた。 私は靴だったので大丈夫だったが、彼女は履いていたサンダルを途中で脱ぎはだしで 家に行く。家は、台風通過の影響で電気が止まったままだ。家の中はとても暑い。 暑さになれていない私は、何もしなくてもすぐに汗が噴出してくる。家の男連中は 皆上半身裸である。汗だくの私を見て、彼女が上着を全部脱げと言う。初めは躊躇って いた私だが、耐え切れなくなってシャツを脱いだ。風があれば少しは涼しく感じられる のだが、風が全く無い。少し、風が出てきたので汗でぬれたシャツを表に干して少し 乾いてきたころ、雨が降り出した。時期的に雨季ではないので、にわか雨くらいの降り である。雨季のスコールのように降れば少しは涼しくなるのに‥ 家に入るとすぐに母親がとても嬉しそうに私の腕をつかんできた。 私は、お土産の腕時計を母親と今の父親に渡す。二人ともとても喜んでくれた。 誰にも気付かれないように、母親にそっと10000ペソを渡した。 家には、母親の弟夫婦「アルツロ」と「ルシア」がきてくれていた。 私ははじめての対面である。明日の結婚式では、証人になってくれるそうだ。 今日は子供たちが勢揃いなので、私は持っていったポップコーン(100円ショップ で購入)を作ってあげたら、皆喜んで食べていた。 昼に彼女の荷物を持ち家を出る。母親の弟夫婦も家に帰るというので、途中一緒に 帰ることになった。通りに出て、乗合タクシーを拾って乗り込むがすし詰め状態である。 14,5人くらいは乗っている様子だ。途中、弟夫婦がタクシーを降り、タクシーは 市内へと向かっていった。終点で、降りてお金を払う。弟夫婦の分も入れて、40ペソ タクシーを乗り継ぎ、ようやくホテル到着。 午後は、何の予定も無かったので部屋でのんびりする。彼女のほうは、友達との電話 に夢中だ。窓から外を眺めると何時の間にか雨が落ちている。明日は結婚式なので晴れ を期待していたのだが‥ 不意に、彼女が私に声をかけた。「明日、履く靴が無いので、一緒に行って見てほしい」 という。そこで、娘を部屋に残し、ホテルの下のフロアーの「ロビンソン」の靴売り場に行く。 いろいろ見て回ったが、どうも気に入ったものが無いらしいので、いったん部屋に戻り、 娘を連れてタクシーで「アヤラ」迄行くことにした。そこでもいろいろ見て回ったがなかなか 決まらない。ようやく、お気に入りの一点を見つけることが出来たのだが、私は疲れてしまい 「おなかがすいたので、なにか食べない?」と彼女に言うと、「私たちはいいから貴方一人で そこのお店で食べてきたら‥私は手前の美容室でネイルケアーをしてもらうから食べ終わったら きてね。」と言われてしまった。 食べ終わった私は、美容室の待合室でしばらく待っていたが待ちくたびれて店の外に出ようと したとき、ようやく彼女が娘を連れて、店の奥から出てきた。 タクシーをとばしてようやくホテルに帰ることが出来た。   ◇12月6日(挙式)  [TOP] ふと、人の気配で目が覚める。 すぐ横をみると、妻が起きようとしている。 「フロリーおはよう」と言って朝のキスをするが、時計を見ると まだ5時だった。 「何でこんなにはやいの」ときくと、これから母親達を迎えに 「ナガ」へ行って来る という。7時半ころまでには、戻ってくるから「アンジェラ」を 頼むと言って私からタクシー代とマイクロバス代2000ペソを 受け取り部屋から出て行った。 妻を見送ってから少しうとうとしていたが、時刻が6時を回って いたので、起きることにした。「アンジェラ」は未だ寝ているので、 無理に起こすことはしないでおいた。窓の外は雨が降っていた。 少したつと、娘も起きた。娘にはお母さんはちょっと出かけていて、 朝食までには戻るので心配しないようにと伝えた。きっかり、 7時半に妻が戻ってきた。 すぐに娘を普段着に着替えさせ、3人でレストランに朝食を摂りにいく。 朝食が終わり、部屋に戻る途中ロビーで見知った顔があった。 叔父の「ガビエータ」夫婦である。 時刻は未だ8時を少し回ったくらいである。声をかけて挨拶する。 部屋に戻り、シャワーを浴び式の支度を整える。妻のほうは シャワーが終わってタオルを体に巻いた状態で、念入りに化粧を している。式の時間が10時からなので、特に慌てる必要は無い のだが、私は一度着たスーツを脱いでベッドに横になって化粧の 終わるのを待つことにした。ようやく妻の長ーい化粧も終った ので妻の仕度を手伝うことにした。妻がウエディングドレス に着がえたので、私も急いでスーツに着替えた。 私は妻に「とても綺麗だよ。愛しているよ」と耳元で 囁きながら、ロビーまで下りてきた。 ロビーには、母親の弟夫婦、叔父夫婦、妻の弟達がいた。 早速、チャーターしたマイクロバスに乗り込む、バスの中には 妻の母親と父親、弟の奥さんと子供、妹夫婦と妹達10数名 がすでに乗っていた。10分ほどで、裁判所の建物の前に到着した。 建物の3階まで上がり、挙式場のある部屋に入る。 部屋の奥は一段と高くなっていて、明らかに裁判所の法廷だと いうことがわかる。 挙式前に婚姻証明書の下のほうの欄に妻と私がサインをして、 証人と媒酌人がサインをした。挙式の様子は、私自身緊張と暑さ の為にあまり覚えていない。 ただ妻がとても嬉しそうにしていたのだけは覚えている。 無事式が終わり、建物の外に出て初めてほっとした気持ちになった。 緊張が取れてすがすがしい気持ちである。相変わらず、雨は降って いたが、とても涼しく感じられた。 再びバスに乗り込み、昼食会の会場へと向かった。特にイベント らしきことは用意されていなかったので、ごく普通の昼食会の 様相である。私は、あまり食欲が無かったので、フルーツとビール だけを飲んでいた。総勢25名ほどで8000ペソ 食事も一段落したので、会計を済ませて出ようとしたら入り口付近に 司祭を務めてくれた判事の「ホン」氏がいたので挙式の御礼を言って 握手のときに1000ペソを黙って渡した。彼は眼で礼をいっていた。 バスに乗り込み、今度は叔父の「ガビエータ」の家(教会)へ行き、 そこで簡単な式を行った。これで全ての行事が終わったので、叔父の 家で皆を見送ってからタクシーを拾い、写真館に向かった。 妻の希望でしたが、仕上がりはあまり良くありませんでした。 機材は良いものを使っているのですが、肝心の腕が良くない。 その後、ホテルに戻り、彼女のドレスをクリーニングに出した。 夕方、挙式の写真をカメラマンが届けてくれた。7300ペソ 妻がとても可愛く写っていた。(実物より、写真のほうがだんぜん良い。) 今日挙式で私の媒酌人を務めてくれた友人に妻が電話をして、 明日の夕方その友人「ビルマ」が写真を見にホテルへくることになった。   ◇12月7日(式の写真)  [TOP] 朝、目が覚めて窓の外を見ると、今日も雨だった。 今日は、レストランで遅めの朝食。 食事中にいきなりチャイムの音が鳴り響いたので驚いて 振り返ると、ウエイトレスが手に大きなベルを鳴らしな がら、店内を回っている。 どうやら、朝食の時間の終わりを告げているようだ。 一方、客のほうはそんなことはお構いなしに食事を続けている。 私たちも、それに続いた。 食事が終わって部屋に戻ると、妻は早速友人に電話をかけ始めた。 こんなに電話魔だったとは、初めて知ったような気がした。 きっと結婚前は私に遠慮をしていたのだろう。 でも、今は何の遠慮もしていない。話の内容は全くわからないが、 電話をしながら時々私の方を見てニヤニヤしている様子を見ると、 話題が私の事みたいだ。 あまりにも長話をしているので、妻の体を触ったりキスをして みたりちょっかいをだすと、初めはそれを受け入れていたが、 仕舞には怒りだした。 あまり怒らせると後が怖いので、程ほどに辞めておくことにした。 昼前に写真屋へ行って、昨日のスナップ写真の現像を頼んだ。 現像料は50ペソ。1時間で仕上がるので後でとりに行くと、 プリント代として150ペソとられた。(フィルム3本で600ペソ) 午後に妻の友人が訪ねてくることになっていたが、時間はわからない という。とりあえず、娘を学校に送っていき用事を済ませてくるという 妻を見送り、私一人で部屋で留守番ということになった。 初めおとなしく待っていたが、「午後って、いったい何時のことなんだ」 と思い、妻に電話すると時間はわからないという。 あまりにも退屈なのでちょっと外に出る。手持ちの金も不足してきたので、 両替屋で換金4450ペソ 洋品屋で高級シャツを買う。2枚で1000ペソ。(アメリカ製なので、 少しはましである。)スーパーへ行ってミネラルウォーターと娘の チョコレートドリンクを買う。その後、ホテルへ戻りフロントで来客の 有無を尋ねるが、来客は無かったというので安心した。 夕方になって娘を連れて戻ってきた彼女に、来客は無かったよと言うと、 これから行くと電話があったことを私に告げた。「なんだ、電話連絡が とれるなら、初めから時間の確認をしておいてくれても良かったじゃ ないか。」と思った。 午後6時過ぎに「ビルマ」が息子を連れてやってきた。 父親がアメリカ人だというが、子供は見た目アメリカ人そのものである。 (尤も、娘も見た目は日本人であるが‥) その子供がうちの娘とすこぶる仲がよいのである。部屋の中はもちろん 廊下では手をつないで歩いているし、レストランでも椅子に並んで座り、 とても小さな恋人同士のようである。 話が脇にそれたが‥ 「ビルマ」が部屋で私たちの式の写真を私の妻から楽しそうに見せて もらい、そのうちの数枚の写真を妻から受け取った。 本当に貰っていって良いのかと私のほうをみたので見たので、私は そっとうなずいた。 折角訪ねて来てくれたので、妻に皆でレストランで食事をしようと 言ってホテルのレストランに出かけた。 楽しい食事が終わり、私は妻に「ビルマ」にタクシー代を渡すようにと、 指示をしてお金を渡した。「ビルマ」は、とても恐縮していたが、 私が言ったので納得したようだ。 私は日本人なので、私の感覚では来客に食事を馳走して車代を出す のが礼儀だと思っているが、比国人はどうなのだろう。   ◇12月8日(出生証明書書換)  [TOP] 今日は「ナガ」の市役所へ行って、娘の出生証明書の記載内容書き換え を行いたいと妻が言うので早めの朝食を取り、タクシーで乗合タクシー のターミナルがあるダウンタウンへと向かった。私はダウンタウンは全 く足を踏み入れたことは無いのだが、とても町に活気が満ち溢れている。 ターミナルで「ナガ」方面行きのタクシーを見つけ、それに乗り込む。 私たちが一番乗りのようである。(一番乗りということは、客が定員乗 るのを待たなければならないので、待ち時間は長いということである。) それを私は解からなかった、バスと一緒で出発時間が決まっていて時間 になれば出発するものと思っていた。それが甘かった。客が思うように 集まらないので、運転手は車から降りてしまった。座席がほぼ満席に なったので、出発かと思っていたら、客の数人が待ちきれずにジプニー のほうへ移動してしまったので、さらに待つことになった。結局、待つ こと40分ようやく動き出した。しばらくはダウンタウンの狭い曲がり くねった道を進む。 30分ほどして、妻の実家のある、「トゥヤン」に着いた。料金は50ペソ 実家に着いて、母親と父親に式の御礼を言う。弟の「ロナルド」に日本 から持ってきたお土産の腕渡計をプレゼントした。 彼はとても喜んでくれたようだ。 しばらくして、娘を置いて私と妻は実家を出た。ジプニーを拾い 市役所へと向かう。10分ほどで、市役所到着。料金18ペソ ここは広い公園のようになっていて、道路から向かって左手のほうが 公園をはさんでバランガイ事務所、正面の先が市役所、右手のほうに 体育館があった。 市役所の海側が市場になっていて、沢山の小さな市が立っていた。 ここでの手続きの内容は割愛させていただくが、あっちの窓口こっち の窓口とやたら手間と時間がかかりました。 所要時間3時間あまり、事務処理の結果セブ市からの書類が未だ回って きていないので、今日は出来ないとの事。 後日、妻が再度行くことになった。 再び、ジプ二ーに乗り妻の実家へ。妻が母親に手続きが空振りに 終わったことを報告しているようだ。のどが渇いたか?と妻が聞く ので少し渇いたと言うと500出せと言う。 そのお金を弟の「ロナルド」に渡し、買ってくるようにと指示した。 しばらくして彼らはプラスチックの箱を抱えて戻ってきた。ビール 1ケースにコーラとスプライトを1ケースずつ買ってきた。 早速買ってきたビールを飲めという。全く冷えていない。 仕方が無いので、とりあえず飲んだ。残りの飲み物は冷蔵庫で冷やす ことにした。ビールは早く冷えるようにと冷凍庫へ後は冷蔵室へ入れた。 後で、冷えたビールを飲んだが、サンミゲルではなかったが特にまずくは 無かった。 午後5時までには「コート」に行かなければ残りの書類を貰えないのと、 あまり遅くなると渋滞が激しくなるので、午後3時半妻の実家を後にした。 乗合タクシーを捕まえセブ市に向かった。途中までは順調だったが、 とうとう渋滞に捉まり車が全く動かなくなってしまった。 ようやく、南バスターミナルまで来たので、乗合タクシーを降り、 妻が携帯で「コート」の「シスター」に時間的に今日は間に合わない旨を 伝えると、明日ホテルへ届けてくれることになった。 夕食は妻がどうしても「ケンタッキー」のスパイシーチキンを食べいと 言うので、そこへ行くことにした。ホテルからは少しの距離があり、 10分位歩いた。 ここの「ケンタッキー」は、店内に「ミスタードーナツ」のカウンター があってチキンとドーナツのバリエーションが楽しめるようである。 日本の「ミスドー」同様、ドーナツセットを買うとランチボックス セットが、貰えるようである。   ◇12月9日(海へ行こう)  [TOP] 今日は朝から良い天気である。日差しがとてもまぶしい。 こちらに来てから海に行っていないので、妻に「海へ行こう」と誘うと 午前中は暑いから、午後ならいいわよと言うので午後からの海行きになった。 朝食を済ませて部屋に戻ると妻が熱心に新聞を見ている。何を見ているの かと思い、横から新聞を覗くとそれは携帯電話の新聞広告でした。 「携帯電話なら、持っているじゃない」と私が言うと、妻は新聞をとじた。 でも、なにか様子が変なので妻に問うと、「小さくて軽い最新の携帯が欲 しい」という。たまには妻のおねだりをきくのもいいかな。と思い、 開店時間を待って「ロビンソン」のショッピングモールに出店している、 携帯電話ショップに出かけた。 妻が一番欲しいと言う「ノキア」の最新機種は1万ペソ以上もするので、 私は「こっちのパナソニックにしたらどう?この機種だったらメーカー も間違いないと思うのだけど‥」というと、妻は私の意見に同調してく れた。値段は、5990ペソだった。(本当はあまりにも高額な為、私が 躊躇してしまった。) 部屋に戻ってから、新しい電話機をいじっていた妻が、「操作の仕方が わからない」というので、「マニュアルをちゃんと読めばすぐに使える ようになるんじゃない」というと、一生懸命にマニュアルを読んでいた。 「ロビンソン」地下のフードコートで昼食を済ませ、部屋に戻った妻に 「これから出かけられるのかい?」と私が言うと、これから「シスター」 が残りの書類(結婚許可書と申請書のコピー)を午後一番で届けてくれる ことになっていると言う。時間を聞こうにも今日は土曜日でオフィスが休 みのため問い合わせが出来ないと言う。しかたなく、ホテルのロビーで、 「シスター」の到着を待つことにした。一時間が過ぎ、二時間過ぎても 一向に現れる気配が無い。やむなくフロントに「シスター」がきたら 「書類」を預かってくれるように頼んで、部屋で海行きの仕度をして ホテルを出た。 タクシーでまっすぐマクタンに向かうものとばかり思っていたのだが、 どうも道が違う。妻に「何処へ行こうとしているの」とたずねると、 「シスターの自宅へ行ってみるの」と言っていた。タクシーは30分 ほど走り、「シスター」の自宅があるという、とある町に着いた。 自宅前でタクシーを降り、妻は家の中へ入っていった。なかなか立派 な造りの家である。夫が英国人だというので、子供も英国人の顔をしている。 あいにく「シスター」は不在で家政婦が子供の世話をしていた。 行き先を尋ねても家政婦にはわからないらしい。 待っていても仕方が無いのでタクシーを拾ってマクタンの「ラプラプ」 にむかう。 「ラプラプ市」にある「ビルマ」の家に着いたのは、午後4時をとうに 回っていた。 「ビルマ」の家は、住宅街の一角にあった。まわりは同じような造りの 家が並び日本の新興住宅地のようでした。家には彼女と3人のの子供と 家政婦がいましたが、ご主人は不在でした。仕事でアメリカに行ってい るとのことでした。(彼女の夫はアメリカ人) 彼女の一番幼い子供を家政婦に託して、バタバタで出かけることにしま した。小さなバタバタに大人3人と子供3人も乗ると、動かないんじゃ ないかと思うくらい重そうでした。15分走って「バヒアリゾートホテ ル」という、とても小さなホテルに着きました。フロントでエントリィ ーフィーを払い、ホテルのプールへ。(250ペソに200ペソ分の飲 食代が含まれている) 「海は何処にあるの?」私の問いに「そこにあるじゃない!」見るとこ こは入り江になっていて確かに海水はきているのですが、岩場で砂浜が ない。しかも海との境に仕切りがしてあって、海側からは入れないよう になっていました。(これもセキュリティーの為か‥) プールも3個あって一番深いプールは深さが2メートルありました。 水は海から直接くみ上げているので当然海水。 浅いプールは一番水が冷たく、一番深いプールの水がとても温かかった。 着いたときは未だ明るかったのですが、子供らとしばし遊んだ後、頼ん だ食事が運ばれてきた頃には、日もすっかり落ちて夜になっていました。 食後、妻も水着に着替えてプールに入ってきたのですが、妻は泳げない のでプールの浅い場所で水に浸かっているだけ‥私が手を引こうとする のですが、水が怖いらしくてプールの端につかまったままでした。 (妻の水着姿を見るのは半年振り、私は妻の水着姿がとても好きなので すが、本人はあまり水着姿が好きではないらしくて、なかなか着ること がありません) 「もう帰りましょう!」と妻の一声で、帰り支度を済ませプールを後に したのは、午後7時近くでした。 ホテル前からバタバタを拾って「ビルマ」の自宅近く迄戻ってきたとき、 丁度、乗合タクシーを見かけましたので「ビルマ」が運転手に行き先を たずねたところ、「オスメニア」付近まで行くと言うので「ビルマ」に 今日のお礼をいい「ビルマ」達と別れました。乗客が徐々に減っていき、 マクタン大橋をわたる頃には、我々以外は一組の乗客が乗っているだけ。 娘は遊び疲れたらしく、ぐっすり眠っていてうごかない。 やがて乗合タクシーが終点の「オスメニア」に着いたので、そこで降り てホテルに帰りました。 フロントで部屋のキーを受け取るときに預かり物がないか?と聞くと 「書類」を預かっているとの事でした。「書類」を受け取り部屋に 戻り、中を確かめました。約束どおり「結婚契約書と申請書のコピー」 がはいっていました。 久しぶりにプールで子供達の面倒をみて、少し疲れた私は「アンジェラ がジョリビーに行きたいというので、行ってくるわ」と言う妻を見送り 転寝をしてしまいました。夢の中でチャイムが鳴っているのを聞いた 私はふと、われに帰りました。 妻達が帰ってきてチャイムを鳴らしているのでした。「ゴメンゴメン」 と言いながらドアを開けると。妻と娘の姿がありました。 なかなかドアを開けてくれないので、ずっとチャイムを鳴らしていた、 と言うのです。「眠っちゃってしまったんだ。ゴメンね。」すぐに私が あやまると妻はすぐに機嫌を直してくれました。 妻は、「あなたがおなかを空かして待っていると思ったので、 ハンバーガーを買ってきたわ。」と言って、それを私にくれた。 明日はいよいよ日本に帰らなくてはならない日なので、荷物を まとめていなかった私は、急いで衣類をトランクに放り込み、 仕度を済ませました。 妻の荷造りがはかどらないのを見た私は、妻の荷物をまとめる 手伝いをしました。妻の荷物のほとんどが、私が日本から持って きた衣類です。おかげで私のトランクはとてもゆとりがありまし たが、私が持ってきた衣類のおかげで妻の荷物は私よりも多くな ってしまったようです。(前回の渡比に比べ、もってくる荷物を 減らしたつもりなのですが、ついついあれもこれもと持ってきて しまったようです。) ようやく、荷物を5つほどに分けて妻の荷支度が完了しました。   ◇12月10日(最後の朝食)  [TOP] 今日はいよいよ日本に帰る日です。 あっという間に過ぎてしまった8日間。 いろいろやりたいことがありましたが、結構忙しくて思っていたことの 半分も出来ませんでした。 愛する妻「フロレンダ」と娘「アンジェラ」と別れるのがとてもつらい。 ホテルのレストランで最後の朝食だ。 むかいに座っている妻がとてもいとおしい。 「君と離れたくない」「私も離れたくない」お互いに言葉を交わす。 しばし‥時間が流れる。 部屋から、荷物を下ろしてもらい、タクシーに荷物をのせた。 妻がタクシーに乗り込む際に、二度、三度とキスをした。 妻に「今度3月にくるから」と言って妻を見送った。 私はタクシーの運転手に空港までと告げた。 車は妻の車の後を追いかけるように走り、通りで妻を見送るように しばらく後につき、やがて方向を変え空港に向かった。 30分ほどで、空港に到着した。 カウンターに行き、チェックイン。係員は、早めのチェックインの私に 気を利かせ1便早い飛行機の搭乗券をくれた。みると、出発まであまり 時間が無い。急いでゲートに向かい機内に乗り込んだ。まわりの乗客は 比国人ばかりで、日本人が見当たらない。 1時間でマニラ第二ターミナルに到着。ターミナルビルを出て、階段を 上がり国際線ターミナルへ、荷物はインターナショナル扱いなので人間 だけの移動である。時計を見ると、まだ11時。出発は3時頃なので、 4時間ほどの空き時間がある。トイレに行き、喫煙室になっている喫茶 ルームに行き、ビールを注文して煙草を吸う。 メニューを見ると、コーヒーはビールの倍以上の値段である。おなかが 空いたので、売店に行きサンドイッチを買い食べた。 時間がたっぷり あったので、免税店に行き私と妻の歓迎パーティーを催してくれるとい う友人にお土産のウイスキーを買った。時間つぶしに売店でダイビング 雑誌を買い喫茶ルームでビールを飲みながら、待ち時間を過ごした。 ようやく、搭乗時間がやってきたので出発前に妻に電話をしようと思い 電話が並んでいるほうを見ると、周りに人が沢山群がっていたので、 電話は断念した。日本に帰ってから電話をしようと思った。 機内はほとんどがクラブ勤めらしいフィリピーナの団体。 日本人乗客は、少ない。 機はほぼ定刻どおり成田に着き、ターミナル内の電話で駐車場サービスに 連絡を入れ、ピックアップの手配。待ち合わせの為にターミナルビルから 外へ出ると、あまり寒くは感じなかった。まもなく、迎えの車が到着。 駐車場サービスから自分の車に乗り込み、高速を使い帰宅。途中、酒々井 サービスエリアに立ち寄りそばを食べて家に帰った。   ◇12月20日(帰国後)  [TOP] 区役所へ行き、婚姻届と娘の認知届の手続きを行った。書類上の不備は なかったので、問題なく受理してもらった。(ただ、審査に2時間以上 時間を費やした。)27日には、私の戸籍に妻と娘が載るそうである。 あとは、入管へ行って在留許可の申請手続きの書類もらって申請だけと なった。


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