IVY'sセブ島旅日記結婚準備編 



   l 旅立ちの巻 l ナガへ l バサックにて l セブ市内にて l
   l トゥブランへ l セブ市内にて(2) l 市役所へ l 帰国 l
  ●結婚編はここ


  ◆ 旅立ちの巻  (TOP) 9月17日(日) 小雨混じりの中、自宅を10時30分出発。 途中たいした渋滞もなく,予定通り11時30分いつものパーキングに到着。 第二ターミナルまで送ってもらう。 チェックインまではまだ時間があるので,いつも通り会員専用ラウンジに行き, カウンターでカードを見せ受付を済ませ、アイスコーヒーを注文する。 テーブルでコーヒーを飲みながら「出入国カード」と「比国の入出国カード」 を記入。観光シーズンを過ぎているせいか他の客は誰もいない。 本当にこのラウンジはいつ来ても空いている。 第一ターミナルだとこうはいかない。 各カード会社共通利用なので、いつも混んでいるようだ。 時間が迫ってきたので、「Eカウンター」へ行きチェックインを行ない 喫煙席と通路側シートをお願いする。 荷物の重量を見ると「33キロ」になっている。 いつもは40キロ以上なのに、今回は荷物が少ないので,こんなに軽いの だろうと思う。でも、制限重量は「20キロ迄」なので「FSCカード」 を提出して重量超過免除を頼み、壊れ物のステッカーをトランクに貼って もらう。 空いているうちにイミグレを済ませてレストランに行き、「生ビールとフ ライドチキン」で空腹を満たし今回のスケジュールを練る。 予定では,火曜日に「駐在官事務所」へ行って「婚姻具備証明書」の申請を して水曜日の午後に「証明書」を受取り、「シティホール」で「婚姻許可 願」の申請を出して完了。 後の空いた日に、海水浴でも‥と考えていた。 それがとんでもないことになろうかとは,この時点では知る由もなかった。 14時55分発のPR433便は、定刻通り「成田」を飛び立った。 途中たいした揺れもなく、現地時間19時15分「マクタン空港」に到着 イミグレで約1時間費やしタクシーで「ミッドタウンホテル」へ向かう。 空港タクシーはやや高く「200ペソ」 ホテルで彼女「フロリンダ」の到着を待つ。 21時「フロリンダ」到着,4ヶ月ぶりの再会である。 彼女は顔に吹き出物が出ている。どうしたのかと聞くと脂の取り過ぎで, こうなったと言う。つまり、チョコレートの食べ過ぎである。 私は「摂生しないと婚約解消するよ」と,冗談を言うと,「必ず直すから 今のままでいて」と顔をしかめる。可愛いものである。 部屋で「トランク」から、彼女への誕生日のプレゼントの「ルビーの指輪」 を出し、君の誕生石の指輪だよと言いながら渡す。 彼女はとても喜んで私に抱き着いてくる‥。私は「まだ、他に結婚式の為に 買っておいたんだよ。」と言いながら彼女にウエディングドレスを手渡した。 私は喜んでいる彼女を後ろから強く抱きしめ、キスをした‥   ◆ ナガへ  (TOP) 9月18日(月) 8時にホテルのレストランで朝食を摂り,タクシーで彼女の家がある 「ナガ」へ向かう。(タクシー代200ペソ) 私は彼女の家を訪ねるのは初めてでした。彼女曰く「家はとても汚く、 とても暑いのであなたを入れるわけにはいかない」と、ずっと拒み続 けていました。 でもね「結婚するのだから,あなたの家族にも会わないのは不自然だろ う」とメールに書き、「あなたのお母さんは私達の結婚を認めているの か、私自身で確かめたい」と言って彼女を説得してようやく実現しました。 タクシーが学校の前で止まり,私達はそこでタクシーを降りました。 彼女が学校の門の中へ入っていったので,恐らく用事があるのでここに来た のだろうと思っていましたが、そのまま校庭を横切り学校の裏へそのまま 歩いて行きました。 一体どこへ行くのカナと思っていましたら、学校の裏庭から続く道の先に 彼女の家がありました。 家はあまり大きくなく、こじんまりとした農家でした。豚を3頭と鶏を数 羽飼っていて、豚小屋の前にトイレがありました。トイレと言っても周り を簡単に囲っただけの質素なもので、便器もありません。また水道はなく 井戸で飲み水をこしてのんでいるそうです。 はじめて彼女の母親の「エマ」に会い、挨拶をしました。 ところが、母親は英語がわからないそうで,彼女に通訳をしてもらい、 ようやく「彼女との婚姻」の意思を伝えることが出来ました。 また、現在家には彼女のすぐ下の妹の「ロレーナ」が三人目の出産を 終えたばかりで夫の「ミンゴ」と共に実家に帰ってきており,他に二人 の子供「ロレーメ」「ジュンリー」とベビーの「マリオ」三女の 「アルマ」四女の「テルマ」、そして彼女の娘の「アンジェラ」そして 彼女の2番目の父親と11人の大家族で生活しているそうです。 私は,こんなに多人数でどうやって寝るのだろうと不思議に思いました。 他に,彼女には弟の「ロナルド」が既に婚姻しており妻の「マリーン」との 間に二人の子供「ロネル」「ロレン」をもうけています。 私は,すぐ下の妹「ロレーナ」とは、彼女が18歳の時に会っていて、前回 SMで会いましたので、会うのは3度目です。 また、一番下の妹の「テルマ」とは、昨年SMで会っているので,2度目の 再会です。 昨年「テルマ」と会ったときには,てっきり「ロレーナ」の娘だとばかり 思っていました。 年齢を聞いたら,まだ10歳だそうです。娘の「アンジェラ」が今5歳です から、叔母さんと5歳しか違わないことになります。 もっとも、私と彼女の母親とは、年齢が同じなのですから、私自身同い年 の女性を、これからはお母さんと呼ぶことになります。 最も彼女には、私の年齢を母親に言うことは口止めしてありますので、 当分の間は彼女の母親は私の年齢を知らないでしょう。 午後,彼女と「書類」を持って娘の「アンジェラ」と共に、市内へ向かい ました。 ホテルの部屋で一休みして娘の「アンジェラ」を「スクール」まで送り、 「駐在官事務所」へ向かいました。 そこで「ハプニング」が生じました。 私の書類は全く問題がなかったのですが,彼女のほうの書類の出生証明が 遅延登録であり、しかも届出が驚いたことに2年目に届出がされていたの です。(これ自体は何の問題もありません) また彼女の持っていた書類が届出の「オリジナル」でしたので、係官曰く 「オリジナル」を受理しても良いが、返却できないので今後、彼女自身に 問題が生じる恐れがあるから一応受付けをして受取りのときに「出生謄本」 と引き換えに「婚姻具備証明書」の発行と「オリジナル」の返却すると、 言って下さいました。 係官が彼女に、同じ内容のことを英語とセブアノ語で説明したときに言葉の 問題が生じてしまいました。 係官が彼女に対して「セロックス・スルー・コピー」と言えば良かったのに 「セロックス・コピー」と言ってしまいました。 これを彼女は「ゼロックス・コピー」と勘違いしてしまい、私がいくら説明 しても係官が「ゼロックス・コピー」と言ったのだからと聞き入れません。 私は「‥でもね、ここに係官が書いてくれたのがあるでしょう」 「これは、何と書いてあるの」と聞きました。 そこには英語で「セロックス・コピー」と書いてありました。 彼女は、「バサック」で、教会の牧師をしている叔父さんの「ガビエータ」 のところへ相談に行くと言い出しましたので、仕方なく行くことになりました。   ◆ バサックにて  (TOP) 教会の前にタクシーが着くと道路端に止めてはおけないので,敷地内に タクシーを誘導してしばらく待っているように頼みました。 その後の会話はセブアノ語なので内容はわかりませんでしたが,彼女の 叔父も「ゼロックス」コピーと解釈したらしく叔父の指示で、コピーサ ービスを受けるために「SM」に向かうことになりました。 (私自身は本当に大丈夫なのだろうかと,一抹の不安を抱えながら‥) タクシー代金130ペソ 「SM」でコピーサービスを行なっている所を探すが,なかなか見つか らない。あちこち歩き回っても仕方がないので彼女の後ろに付いて歩い ていた私は,ガードマンから場所を聞き出し,地下にあることがわかった。 彼女に場所を教え一緒に地下へ下りた。すると通路の端のほうにサービス センターを見つけることが出来た。センター内はとても混雑していて受付 の順番が廻ってくるまで時間がかかりそうだ。彼女と一緒に待っていても 退屈なので、彼女にコピー代金30ペソを渡し、あちこちの店を覗いてみて 廻った。20分くらいして戻ってみると、まだ順番が廻ってこないらしく 相変わらず椅子に座っている。娘の様子をみると咽喉が渇いているような 様子だったので、売店でミネラルウオーターを買って渡すとすぐに飲みだ した。ようやく順番がきて数分でセンターを後にした。 真直ぐタクシー乗り場に向かい、ホテルに戻る。タクシー代金110ペソ ホテルで少し休み,夕食を摂りに近くの「マジェスティック」に行く。 料理は,卵スープとスペシャルフライドライスと牛肉の野菜炒めとラプラプ の蒸し焼きを注文する。飲み物は,マンゴジュースとパイナップルジュース を注文。 注文した料理が運ばれてきて食べ始まったのだが,肝心の「ラプラプの蒸し 焼き」がこない。 彼女はイライラしていたが、私が冗談で「今,釣りに出ていてなかなか釣れ ないんダヨ」とか、「大きすぎて海から引き上げられない」などとくだら ないことを言って彼女の苛立ちを抑えていた。 でも、あまりにも遅いのでウエイターを呼んで、問いただすと注文を忘れ ていたことが判明した。彼女にそのことを話すと,セブアノ語でウエイター に文句を言っていた。 早々に会計を済ませ,店を出ることに‥ 食事代金500ペソ(ラプラプの 分450ペソ浮いた) ホテルに帰ってもまだ怒っている様子なので,一生懸命彼女を宥める。 彼女もあの店には二度と行かないだろう‥   ◆ セブ市内にて  (TOP) 一応、証明書の受取りが午後なので遅い朝食を摂り、部屋でのんびり 過ごす。 私は,下着の着替えを多く持ってきていなかったのでホテルの 近くの 「ルシーター」という、スーパーへ「ジーンズ」と「ポロシャツ」 を買いに出かけた。正面入り口の1階と2階が衣料品で、1階の奥がスー パーマーケットという変な店です。たまたまセールをやっていた ので、 「ボブソン」のジーパンと「ポロスポーツ」のポロシャツが安く買えた。 (ボブソン249ペソ・ポロシャツ85ペソ) 1階の奥の食料品売り場で「サンミゲル・スーパードライ缶」と彼女と 娘の為に,クッキーを買う。(ビール15.8ペソ) 午後1時ホテルを出る。ホテルと同じ建物の地下1階のフードコートで, 3人で昼食。110ペソ 娘を学校に送ってから、駐在官事務所のあるメトロバンク・プラザへ, 建物の12階の駐在官事務所の受付で、私の恐れていたことが現実となる。 昨日「SM」でコピーした書類を受付に提出すると,案の定係官にこれは コピーで謄本ではないとない。出生届を出した地域のバランガイ事務所 で謄本を取ってきてくださいね。と、言われてしまった。 彼女の生まれた場所は,彼女の母親の出身地「トウブラン」という場所である。 銀行の口座に入金するために,彼女に2万ペソ渡してあったので二人で 「PNB」へ向かうことにする。連日,新聞のビジネス欄に「PNB」 のことが記事に出ていたので,少し不安を感じていたが,「エラップ」が 大量の資金を「PNB」投入することを決定したので,当面は大丈夫なの ではないか‥ 入り口を入って彼女は正面のカウンター向かった。私は娘と待合椅子で 待つ。しばらくすると彼女が私を呼んでいる。どうやら彼女は「PNB」 に口座を持っていないらしく,新規に口座を開こうとしたが書類が不備の 為に作れなかったらしい。パスポートは持っていたが,写真付きのIDは 持ってきていなかったためらしい。 結局,私のパスポートを使い、私が口座を開くことになった。 手続きは,日本の銀行と違い、やたらサインする所がある。 また、私のパスポートと運転免許証のコピーを取ることを了承する書類。 口座開設の為の書類。入金するための書類。キャッシュカード発行書類。 全部で12箇所にサインした。 また、日本と違いキャッシュカードはその場で発行してくれるのですが 暗証番号は銀行で指定されてしまいます。 ようやく手続きを終えて帰ろうとすると既に入り口のシャッターは下り ていて、裏口のような所から通りに出ました。 ホテルへ帰って翌日行く「トウブラン」を地図で調べる。 場所を見ると,山を越えて西海岸に出て,北上した所にある。 南下すると有名なモアルボアルがある。距離的には、モアルボアルより も少し遠い感じ。通常、モアルボアル迄車で3時間かかるといわれてい るが、彼女にどのようにしていくのかと聞くと、南バスターミナルから バスでいくのだという。 朝6時のバスで行って帰りは、夜の8時過ぎになる。と、いう。 私は,そんなに時間がかかるんじゃ「レンタカー」を手配して 「トウブラン」まで行こうと言うと、それは高くつくから母親の知り合い のタクシードライバーに頼む事にすると言った。 翌日は「トウブラン」へのドライブが決定した。 でも、そこへ行かないことには今回の渡比が意味をなさなくなる。 彼女が午後4時過ぎ、娘を学校に迎えに行ったので、私はその間昼寝。 彼女が娘を連れ,5時過ぎ戻ってきた。今夜の夕食は、セブ島通信に出て いた、「HAN−NYA」という日本食のお店へ行こうと誘った。 実は,このお店に行くことにはもうひとつ目的があった。 この店は,日本人が経営しているお店なので,ひょっとしたら日本語学校の 情報が得られるのではないだろうかと,思っていました。 歩いても行かれそうな距離だったが,タクシーで向かう事にした。 タクシーに乗り、ドライバーに「HAN−NYA」のある「ホテルアジア」 へ行くことを指示。 ‥ところがこのドライバーそんなホテルは知らないと言う。 あちこちグルグルと走り回り,通行人に聞いたりして,ようやくとうちゃく。 おかげで、70ペソもかかってしまった。 「HAN−NYA」は、ホテルの1階にあった。店のスタッフは,若い男の 日本人と二人のフィリピン女性である。私は、サッポロ黒ラベル。彼女と娘 は,マンゴジュースをそれぞれ注文し,若い男のスタッフにここのお勧めは‥ と、聞くと刺身の盛り合わせだと言う。彼女に生魚は食べられるのかと聞く と、大丈夫だと言うので刺身とサラダを注文することにした。 でも、少ししか口にしなかった。多分,私に遠慮していたのだろう。 ビールを飲み終えると,久保田の冷酒を注文。 彼女に「ライス・ワイン」だと言って少し飲ませてみた。 実は,彼女は酒は全く飲めないのである。 そういえば、彼女の家族も弟以外は酒は飲めなかった。 私は忘れないうちに日本人スタッフに「彼女に日本語を教えてくれる所 を探しているのだが、知り合いの所はないだろうか」と、聞いてみたと ころ「この店のオーナーの奥さんがフィリピンの人間で日本語学校を開 いている」と言う。 しかも、大学で日本語の講師もしていると言うではないか。是非アポを 取りたいと話すと、今でかけていて金曜日なら連絡が取れるという。 金曜日に連絡することで、話がついた。料理の会計は1900ペソ 店を出て,少しとおりを歩いてタクシーを捉まえてホテルに戻る。37ペソ   ◆ トゥブランへ  (TOP) 9月20日 朝4時過ぎ、彼女と娘の会話の声で目が覚める。 ベッドから起きて彼女達を見るとすでに着替えが終わっていた。 私も顔を洗って急いで支度を整える。 彼女と朝のキスをして、4時30分ホテルを出る。 交通渋滞を避けるために、早朝の出発となった。 タクシーをつかまえて乗る。彼女にどこへ行くのかと聞くと、いったん 「ナガ」へ行くのだと言う。彼女の家で時間を潰すらしい。 早朝だというのに、結構車が多い。それでも日中よりはましだ。 約25分ほどで「ナガ」へ着いた。 車を降り、学校の校庭の中を通って家へ向かう。(タクシー代145ペソ) 家に着くと、朝の5時だというのに皆起きている。二番目の妹の「LORENA」 のだんなの「MINGGO」は、仕事前の準備をしている。 母親は、飼っている豚の世話をしているし、父親は井戸の周りで、 「カラバオ」の体を洗っている。また二番目の妹の「LORENA」は、部屋の 掃除をやっていた。 私は彼女に「いつもこんなに朝が早いの‥」と聞くといつもどおりだいう。 私の家も結構朝が早いほうだが、こんなに早くはない。 少し休んで出発するのかと思っていたが、まったくその気配がないので、 いつ頃出発するのかと聞くと、食事を済ませてから出発するという。 今日は母親の「EMMA」も同行するので、家の仕事をすべて済ませてからの 出発となった。7時頃、父親がパンを買ってきた。それが食事だと思って いたが、妹達だけがパンを食べ、私の食事は彼女が用意すると言う。 彼女の作ってくれた、「ジャガイモと鶏の骨付き肉の炒め物」とご飯で、 食事をした。彼女が料理した物を食べるのは初めてである。 正直言ってとても嬉しかった。 8時になって運転手の「ALAN」が迎えに着たので、すぐ出発かと思って いたが、支度に時間がかかっていたので結局30分遅れの出発となった。 車内には、前の席に母親の「EMMA」と妹の長女の「LOREME」、後ろの席に 私達親子3人が座った。 タクシーのドアには「KEN」と書いてあったので運転手の「ALAN」に聞くと 社長が日本人で「ケンイチ」という名前なので、「KEN」タクシーなのだと 教えてくれた。 タクシーが5分ほど走ると、町並みが見えてきた。「ナガ」の中心部である。 ロータリーを右折してセブの西海岸へのルートをとる。登り道を右に左に コンクリート舗装の快適な道である。日本と比べて違う点は、こんな山の 中の不便な場所にも、結構家が建っている点である。 突然、彼女が車の右手を指して「チョコレート・ヒル」と言った。見ると 形が似ている山が見える。似てるけど、違うんじゃないと言うと、そうよ 冗談よ。という。どうやら私をからかっているらしい。 しばらく走ると、車が渋滞に巻き込まれてしまった。どうやら先頭に大型 トラックがいるらしい。先のほうの車から1台2台とトラックを追い越し ていく。ようやく追い越しを完了したのも束の間、また渋滞である。 今度は、大型バスである。しかも、道路のコンクリート舗装が割れてしま っていてひどい悪路の状態になっている。追い越すにしても舗装の割れた 悪路なので、時間がかかる。追い越したバスの行き先を見たら、「トゥブ ラン」行きと表示があった。きわめて道路状態が悪いので、人が歩く早さ くらいの速度しか出していないように思われた。(こんな道路状態なの では、バスで行ったら何時間かかるか検討もつかない‥と、思った。) 運転手の「ALAN」に聞いたら、山越えの道は大型輸送トラックの通行が多い ので、何処も同じような状態だという。 「ナガ」から約1時間ほどで「トレド」の町に着いた。ここから南下すると、 有名な「モアルボアル」がある。 ロータリーを右折し、「トゥブラン」に向かって北上する。 「トレド」の海岸を左手に快適なシーサイドドライブ気分である。 「バランバン」を過ぎたあたりで停車する。何かあるのかとあたりを見回す が何もない。どうしたのかと聞くと、どうやら彼女が尿意を催したらしいこ とがわかった。私も車の外に出て、煙草を吸う。 喫煙者は私だけなので、車内での喫煙は遠慮していた。 やがて「アストゥリアス」の町を過ぎると、左手に海と遠くに「ネグロス」 の島が見えてきた。小さな港をすぎたあたりで、道は山のほうへ向かって 伸びている。と、途端に道の舗装がきれ、泥道になってしまった。一瞬道を 間違ってしまったのかと思ったが、途中には脇道は無かったので間違えては いない筈だが、不安になったので通りがかりの女学生に道を聞く。 母親の「EMMA」は、笑いながらそれを見ている‥どうやら道を知っているら しい。悪路をしばらく走ると、急に開けた場所に出た。やっと着いたのかな と思っていたら、「ウエルカム・トゥブラン」の看板が見えてきた。 「トゥブラン」の町はとても綺麗で、お洒落な感じの町である。道路の両側 には、可愛らしい花が植えられていて、町全体が公園のような感じである。 ほどなく車は「バランガイ」の前に着いた。時計を見ると10時半である。 2時間で着いたことになる。速度計が作動していなかったので、はっきりと わからないが舗装道路を100キロ以上の速度で走っていたように思われる。 早速、受付のところに行き「駐在員事務所」でのいきさつを説明する。 ここへきてわかったのだが、母親の「EMMA」も長男の「出生謄本」を採るのが 目的だったらしい。母親に続き、彼女も受付を済ませる。すぐ発行してもらえ るのかと思ったが、ここは「比国」である。発行までの時間がとても長い。 特に、国際結婚用の「出生謄本」なので余計時間がかかる。お天気はとても良い 日陰にいてもほとんど風が無いのでとても暑い。じっと待っていても仕方が無い ので、彼女に断ってあたりを散策する。町を一回りして彼女の所へ戻るが、まだ 待っている様子だ。昼食の時間に繋ってしまったようで、もうしばらくは時間が かかるみたいである。 午後1時過ぎようやく書類が発行された。書類を手に急いで「ナガ」に戻ること にした。途中、「トゥブラン」の町の出口あたりで「セブ」からのバスとすれ違 った。バスで来たら「セブ」の市街に戻れるのは恐らく夜中になってしまったこ とだろう。車中で持ってきたクッキーと水を飲んで空腹を満たすと、睡魔が襲っ てきたので彼女と手をつなぎながら眠ってしまった。目が覚めると、見慣れた 「ナガ」の町並みのなかを走っている、じき彼女の家である。家に母親を送ると、 再びタクシーに乗り込み「セブ」市街を目指す。ホテル到着午後3時10分。 タクシー代3500ペソ(内、1500ペソを会社に渡し残りは懐に入れるそうだ。) 今日は疲れたので、地下一階のフードコートで早めの夕食(私と娘はご飯の上に 牛肉炒めのあんかけ、彼女は同じくイカの炒め物のあんかけ、飲み物はコーラと スプライト。合計で240ペソ)を取り、部屋へ戻りベッドの中へ。 (出生謄本発行手数料‥なんだカンダで、300ペソ)   ◆ セブ市内にて(2)  (TOP) 9月21日 昨日、ずっと車に乗っていたせいか、年のせいか少し腰がだるい。 だらだらしているうちに、時計を見ると9時になろうとしている。 彼女のほうも横になっているみたいだ。娘のほうもあまり元気がない。 もっとも、娘はいつも朝は元気がないので、特に心配はない。 彼女にレストランに行こうと促す。 レストランは、時間が遅いせいかあまり客がいない。 ウエイターに朝食クーポンを渡し、席に着く。 私は、いつもどおり、パン(‥といっても、ケーキみたいなものだが‥)と ハムとソーセージを山盛りに持ってきて食べる。 彼女のほうは、これまたいつもどおりごはんとコンビーフとチキンを皿に 載せてきて自分が食べながら、娘にも食べさせるが、娘はあまり食べない。 いつもは、朝食を食べることはあまりないようである。 食事が終わり部屋へ戻って、少しのんびりする。 領事館は午前は受付のみ。午後は証明書の発行のみ。なので、ロビンソンで 買い物をして、地下のフードコートで軽い昼食を済ませた後に行くことにした。 14時前には、領事館に行くことができた。 もっとも、ホテルのすぐ隣に領事館の入っているメトロバンクの ビルがあるので、歩いて5分もかからない。 エレベータに乗り、12階へ向かう。 部屋の入り口にいるガードマンから、受付の札をもらい少し待って いると名前を呼ばれたので、相談窓口に行く。 窓口で、書類をそろえて渡すと「トウブランまでいかれたので、 大変だったでしょう。」と、係りの人がねぎらいの言葉をかけてくれた。 「書類は、全部揃っているのですぐに発行できますよ」といってその場 で渡してくれた。 書類が手に入ったので、彼女に「これから市役所に行こうよ」と声を かけると、「今日は辞めて明日にしましょう」とあっさり断られてし まった。こっちは少しでも時間が惜しい位なのだが、彼女に従うことにする。   ◆ 市役所へ  (TOP) 9月22日(金) 今日は、市役所へ行って婚姻許可証の申請をする日である。 いつものように、ホテルのレストランで朝食を済ませたあと、 ホテルの前からタクシーに乗った。 私は、まっすぐ市役所に向かうものと思っていたのだが、 彼女がタクシーの運ちゃんに「バサック」と言った声を聞いて 一瞬耳を疑ったが、それは事実であった。 タクシーは「バサック」の彼女の叔父の教会の前で止まった。 彼女がさっさとタクシーから降り、私も料金を運ちゃんに渡し 彼女の後を追った。(運賃50ペソ‥おなじところでも、毎回運賃が違う) 叔父の家に入ると、叔父夫婦と二人の息子が家にいた。 彼女が叔父になんか言っているのが聞こえたが言っている意味はわから なかった。どうやら、手続きに息子の一人が一緒に行ってくれるらしい。 事がわかった。少し、時間がたってから叔父の息子の「ERWIN」と一緒に 家を出てタクシーに乗った。 おかげで、市役所についたのが11時を回ってしまっていた。 役所の中をぐるぐると歩き回り、ようやく受付の部屋を見つけることができた。 だが、運悪く昼食の時間のようである。待つには時間がありすぎるので、 我々も食事にすることにした。市役所の近辺で食事をするのかと思って いたら、彼女がタクシーを拾うではないか。仕方なく、タクシーに乗り 込んだ。何処へ行くのかと思っていたら、とある「チャイニーズレスト ラン」の前で、タクシーは停車した。店の名前は忘れた‥ 飲茶料理を食べ、店を出て市役所へ向かう。 市役所につくと、数人が受付を待っていたが、カップルらしきもの はなくて、親子連れや一人で手続きにきている人であった。 待ち時間の間に、壁に貼ってある見本を見ながら、申請書をかく。 そうしているうちに、順番が回ってきたので、部屋に入ろうとしたが 彼女が「あなたはいいから、外で娘と一緒に待っていて」といい、 「ERWIN」と部屋に入っていった。しばらく娘と外で待っていたが、 娘がとても退屈そうにしていたので、私は持っていた携帯の着メロを 鳴らして娘の退屈を紛らわせていた。 ようやく、受付が終わり彼女が「ERWIN」と共に部屋から出てきた。 彼女が言うには「市内に住所がないと受け付けてもらえない」らしい。 諦めかけていたところ、偶然にも彼女の友人が手続きにきていて、彼女 が訳を話すと、それなら「私の住所を書けばいいのよ」と言ったものだ から、急に元気を取り戻したようであった。 彼女が友人の住所を聞いて、申請書を書き直すことになった。 (私は、内心とても不安であった。こんなことをして本当に大丈夫なん だろう?後でわかったら、大変なことになるんじゃないか?) 申請書を書き直して、提出したらあっさりOKがでた。(役所もかなり いい加減である。普通なら、おなじ人間が住所を書き直して提出したら 怪しむものだろう) 別の部屋へ行き、セミナー受講の手続きをする。2回ほど受けなければ ならないらしい。それも朝8時から夕方4時まで。 市役所の手続きがようやく終わり、タクシーに乗ってホテルへ帰ること にした。 タクシーがホテルの前に着き、今日一日付き合ってくれた「ERWIN」に 夕食でもどうかと誘ったら、「まっすぐ家に帰る」というので、今日の お礼にお金を渡そうとしたところ、断られたが強引にお金を渡した。 はじめ彼女は「500でいいから」といったが、私は気持ちよく付き合って くれた事に感謝して1000渡した。(‥いずれにしても、私の財布から出る のに‥つくづく女って、けちだなと思った。) 夕食に娘が「ジョリビー」に行きたいというので、ホテルから外に出て 食事をした。 私にとっては、セブでの最後の晩でしたので、他のレストランへ行きた かったが娘に従った。 ホテルに戻って「HAN−NYA」へ電話をすると、マダムが戻って きていると言うので、電話口に出てもらって日本語学校の話をした。 個人レッスンは忙しくて当分の間は出来ないが、グループレッスン なら出来ると言う。ただし、人数が揃うまで実施できないが、人数が 揃ったら、連絡をしてくれると言うので、お願いすることにしました。 電話を終えると、私達はそれぞれ明日の帰り仕度をした。 彼女の荷物がいっぱいで、かばんに入りきらない様子だったので、 私のハードケースの中の着替えを入れるバッグを貸してあげること にした。「このバッグは、君にあげるんじゃないよ。貸すだけだけ だから」と言って、バッグを渡した。(こういわないと、彼女は もらったものと思ってしまいます。) それにしても、すごい量の衣類です。(もっとも、すべて私が彼女 の為に日本から持って来たものですが‥私のハードケースは元々ダイ ビング用の機材が数セット入ってしまうほど巨大なものです。 娘なんか楽に入れます。) こうして一週間は、瞬く間に過ぎてしまいました。 今回は、少しはゆっくりできるものと思っていたのに、 とんだハプニングが発生し、海水浴に行く時間もありませんでした。   ◆ 帰国  (TOP) 9月23日(土) 彼女の「おはよう」の声で目が覚めた。 時刻は、まだ7時前であった。娘はまだ眠っていたので 彼女をベッドの側へ呼び寄せ、抱きしめて熱いキスをする。 何度も何度もキスをした。彼女と別れるのがとてもつらい。 1時間くらいずっと彼女を抱きしめていた‥ 着替えをして、レストランで朝食。食事をしながら、彼女を ずっと眺めていた。「なんで私をみているの」彼女が言う。 「君がとても綺麗だからみていたのさ」私が言うと、照れて いるみたいである。 食事が済み、部屋の荷物をロビーに下ろしてもらうように、 ベルマンに依頼してフロントでチェックアウトを行った。 ベルマンに私と彼女の荷物を分けて、タクシーに積むように 指示をして、タクシーに乗り込む彼女に別れのキスをする。 今度12月に来る時は結婚式があるから、それまで待って いてね。と言って、彼女を見送った。 彼女の乗ったタクシーが見えなくなってから私もタクシーに 乗り込み、空港にむかった‥


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